「世界の山岳医療について」大橋先生の講義

大橋先生の講義の様子です。

大橋先生の講義の様子です。

今年度のIKAR-CISA(国際山岳救助委員会)はスウェーデンで開催されました。
ことしは日本からの出席は、AGS-J顧問ドクターの大橋先生のみでした。
大橋先生は医療部門に参加いたしました。
その様子や、世界の山岳医療に関する動向について講義を頂きました。
講義は11月1日オリンピックセンター会議室で行われました。

本来は、協会ガイドだけでなく山岳救助に関わる警察、消防救急隊の方にも聞いていただきたいような内容でした。と言うのは、協会ガイドがいくら頑張っても隔絶の感のある世界標準には届きそうも無いからです。日本の山岳医療も世界標準として救助活動を行っていく必要があります。が、嘆いてばかりではことは始まりませんから、まずは意識を少なくとも世界標準に近付け、その意識を共有していかなくてはならないのでしょう。

>訃報<  ジャン・クードレイ氏が死去

悲しい、AGSJにとっては、痛手となる知らせが飛び込んできました。協会の技術顧問を御願いしていたフランスのジャン・クードレイ元ENSA教官が死亡したと言うものです。
9月7日、赤い針峰群にあるクロシュ・クロシュトン岩の最近拓かれたルートをクライアントと登攀し、さらにもう一回登った後に、ルートの取り付きに置いたザックを取りに戻ったところ、ラバーソールの靴を履いていたために草付で滑って約300m滑落し、死亡したものです。クライアントは無事でした。
葬儀は9月10日シャモニの教会にて多数のガイド(教え子)やENSA関係者の列席の元おこなわれました。また、氏の家族によってオートロワールで再度葬儀が行われたようです。

日本アルパイン・ガイド協会ではこれまでの指導に深く感謝するとともに、謹んで哀悼の意を表すものであります。

1997年ENSAとの協定を結んだその年から、ジャン・クドレー教官はAGS-Jの実質的な指導者であり、技術のバックボーンでありました。ENSA研修では必ず二人の教官が付いて指導にあたりますが、2004年に退官するまでは、毎年そのどちらかがジャン・クドレー教官でありました。2000年だけは、アンセルム・ボー教官とフランソワマルシーニ教官でした。

また、2001年と2004年に来日しています。2001年は一の倉沢で南稜ルートを登攀し小川山では当協会のクライミング指導を視察しています。2004年、ENSAを退官と同時に山岳スキー技術の指導のため来日していただきました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

新会員

懇親会5月17日(火)に新年度総会を開催しました。

また、新会員の認定式も行われ、新しい仲間が1名増えました!認定式後は新宿で懇親会を行い、楽しいひと時を過ごしました。

2010 IKAR-CISA in スロバキア

AGS-J顧問医師 大橋先生からIKAR-CISA(国際山岳救助委員会)に出席された際のスロバキアの写真が届きましたので掲載いたします。

去る10月5~10日とスロバキア共和国タトラ山にあるスターリースモコベッツで開催されましたIKAR-CISA(国際山岳救助委員会)の医療部会に参加してまいりました。
タトラはスロバキア共和国の象徴(日本の富士山に相当)ですが、わが国ではスイス・オーストリアを中心としたヨーロッパアルプスほど知られていません。私は会議の後1日予定を延長して周辺をトレッキングしてまいりましたので紹介します。
 なおIKAR-CISA 2010の会議内容につきましては、討論された内容のうち公開可能な内容を逐次翻訳して後日アップいたします。

写真1 タトラ山脈の遠望 大町あたりからみる北アルプスによく似ていました。手前の電車はふもとのポプラッドタトリーと言う町からタトラの登山口の一つでもあるスターリースモコベッツへ行く登山電車です。
写真2 タトラ山脈ロムニツキー峰。一見すると妙高山みたいで標高もほぼ同じです。
写真3 会議のあったスターリースモコベッツの街並み。


IKARの会議のあったスターリースモコベッツは、このタトラ山脈の玄関口の一つで、スロバキア共和国の東寄りに位置します。日本から行くには成田―フランクフルト(又はパリ)-クラコフ(ポーランド)経由でクラコフから車で3時間程度かかります。スターリースモコベッツはタトラ山脈の南側、クラコフは北側に位置します。標高は最も高いところで2650m、全体としては2000~2600mですから日本でいうと八ヶ岳よりは低く、妙高山、男体山クラスです。ただ緯度が高いため森林限界は1500mと北海道なみです。

写真4 コース案内版
写真5 木にペンキで書かれたトレッキングルートを示すマーク
写真6 山小屋の玄関
タトラには縦横にトレッキングルートがあり写真のようなルートごとのマークをたどっていける様になっています。このルートをたどる限りガイドは必要ない、とのことでした。おおむね数時間程度歩くと写真のような山小屋があります。山小屋のドアの右にあるマークが山岳救助隊のマークです。日本のような遭難時に有志が召集される救助隊ではなく、冬のスキーと夏のトレッキングにヨーロッパ中から集まる客に対応するための常設の山岳サービス組織でガイドやコースの監視も兼ねているようです。

写真7 スキーリフトからの救助訓練
IKARの本会議の前日にワークショップが行われ、パラグライダーが操縦不能に陥って木に引っ掛かった場合、スキー場のリフトやゴンドラが止まった場合を想定した救助の実技を地元の救助隊および各国の救助隊がデモしていました。タトラの森林限界は1500m程度でそれ以上の標高では冬はスキー、夏はパラグライダーが盛んに行われ、地元の山岳救助隊員の話では、ある年の夏、風の条件の悪い時にパラグライダーの大会が行われ、操縦不能から木に引っ掛かるケースが同時に数件発生して地元の山岳救助隊が大変だったと言っておりました。

写真8 写真2の、向かって左に見える尾根(稜線)上から裏側をのぞいたところです。私が歩いたトレッキングルートはちょうどこの写真の写っているところです。写真で見る、山肌に雪のあるところは北側の斜面で、この雪は夏も残る雪渓ではなく、なんと今年の8~9月の1m位の積雪の名残だそうです。北緯50度前後で標高2000m以上のため、昼間は10度前後ある気温も夜間は0度以下になり、ルート上の雪は昼間はトレッカーにより踏み固められ夜間に凍結することとなります。ビブラム底の革製登山靴で歩いた私は滑落しないようにバランスをとるのに苦労しました。おまけにトレッキングルート上にある(日本の剣岳のカニのタテバイ・ヨコバイ風の)鎖場は半分雪で埋まっており、ガイド不要の一般トレッキングコースとはいえエライ目に逢いました。

写真9 ふもとのスターリースモコベッツからのトレッキングルートから見た風景です。明神を左に見る上高地あたりによく似てますが、景色のスケールはこちらの方が雄大でした。

写真10 写真8の左手奥に見える山肌に雪の付いた稜線を超えるとこのような風景がありました。この写真の正面にある岩場が、先の写真の山肌に雪の付いた稜線の南側にあたり、天気も良かったことから何名かのクライマーがとりついていました。

写真11 写真10の地点からスターリースモコベッツへ下山する途中の道筋、秋真っ盛りの10月で緯度も高いことから午後になるとみるみる日が西に傾きました。

今回私が歩いたルートは一般ルートで、ゆっくり歩いても10時間くらいです。イメージ的には上高地から奥穂小屋を通って新穂高へ抜けるルートと言ったところでしょうか。

以上、日本にはあまり知られていないスロバキア共和国タトラ山塊のトレッキング報告でした。

赤岳鉱泉小屋、本年度のアイスキャンディ架台作成


赤岳鉱泉小屋のアイスキャンディ架台の作成に行って来ました。約30名のガイドが勢ぞろいして恒例の架台作りにあたります。
夜は、翌日に渡って飲み明かした者もいたようです。
架台作成後にドライエリアを試登するのは三苫育ガイドです。
確保していますのは富山から駆けつけました本郷ガイドです。
右はドライエリアにホールドをつけている赤の作業着は遠藤ガイド。その下は、架台作成のプロは石関ガイドです。